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鵜沼の山師

鵜沼の山師

ドゥン峰登頂その後

  ドゥン峰登頂その後(日記)

                 山口 孝
8月9日
 5時起床。C1を無線で呼ぶが応答無し。6時30分、ポニーの手配をアビシェックとガングウに依頼して、BCに向かってもらう。5、6回呼んでやっと、6時45分C1より応答。こちらの趣旨(本日の行動案)を伝える。
 8時38分、C1より連絡。「8時45分、日本人隊員下山開始、インド人スタッフは、遅れて下山開始予定。」
 9時50分連絡。「氷河舌端を下降中。インド人スタッフは30分位前を先行。」
 10時30分過ぎ、先着したインド人スタッフに続いて、日本人隊員がABCに無事帰着。志賀さんが、ちょっと疲れ気味。キルティもウムドゥンから、駆けつけ、ウムドゥン隊も全員登頂したとのこと。鈴木隊長は上機嫌。とっときのビールで乾杯。食料や装備の種分けを、田辺さんと大体済ませておいたので、搬送の準備もスムーズに出来た。昼のラーメンを食べながら、ポニーを待つが、現れない。テントも撤収したので、13時28分頃、志賀さん、田中さん達とBCへ向けABCを出発する。他のメンバーも、続いた。時々振り返りながら、なつかしいABCや、山々に別れを告げる。
 途中の徒渉は先回より、 水かさが増して大変。相変わらずの冷たさであった。渡辺さんのストックが折れるハプニングも。テンジンやキルティも助けに来てくれた。ゆっくりと歩いた。BCの手前にフランス人のトレッキング グループがテントを張っていた。レーからツォモリリを経て、明日はパラン・ラを通過するらしい。彼らのインド人ポーターも、我々の登頂成功を知っていたらしく、「コングラッチュレーション」と声をかけ、握手を求めてくれた。
 BCには、テントが整然と並び、待ち受けている様子。アビシェックらが手配してくれたのだろう。17時30分、BCに到着。ガングウが、オレンジジュースを差し出してくれた。用意されたイスに座り、一息つく。ポニーも少し遅れて到着。18時、テントに入って休息。途中で、ガングウがチャイを運んでくれた。20時過ぎに夕食。キッチンテントで、エッグカレー、マッシュルーム、野菜、チェリー、チャイ。明日の予定。8時朝食。9時出発。パランラルートでボロゲンへ。22時過ぎ、馬方達の歌を聴きながら就寝。
 
 
8月10日
 5時55分起床。6時35分にチャイをもらう。53分、PO2値を測定。荷物を外に出す。テントの撤収が始まった。8時、朝食。オートミール、コーンフレーク、チャイ。
8時55分、出発。気温15℃。パラン・ラの氷河舌端までは、川沿いに歩く。氷河に取り付いてから、冷たい雨混じりの風を受けながら、峠をめざして、一歩一歩登る。志賀さんが、疲れている。最後尾をアルンロイのサポートを受けながら、ゆっくり登ってくる。「頑張れ。パラン・ラを越えれば、楽になる。」とつぶやきながら、自分にも言い聞かす。
 13時38分、パラン・ラに着く。気温8℃、ランチをザックから出し、ボロゲン方向の山々を見ながら、パクつく。
 50分、パランラ峠出発。途中、雪渓に座り込んで、休憩。ゆっくりと下る。
 14時58分、ボロゲンのキャンプサイト到着。 ポニーを待つ間の軽い気分で、辺りに腰をおろし、休息をとる。かなりの時間が経っても、ポニーも志賀さんも現れない。鈴木隊長が、レスキューの必要があると判断。アラムチャンドとヨグラジに救援を依頼。16時過ぎには峠に、たどり着くのではないかとのことだったが・・・、ほどなく、自力で志賀さんが到着。事なきを得た。しかし、ポニーは来ない。様子を見に途中まで、出かけるが、一向に現れる気配がない。テントサイトでは、ガングウが水場の整備、ゴミの処理に忙しい。寒さも出て来て、フリースにカッパの上下を着込む。トレッキングの外国隊(ノースフェイス9張り)のホテルが見える所まで、登ってみる。
17時過ぎても、現れないというのは、ただ事ではない。フラフラ歩きながら、石を見ていたら、スピリファー中世代至準化石(腕足貝)を発見。田辺さんにあげる。そうこうしていたら、峠の方から、ポニーの気配。キャンプサイトに知らせる。徐々に近づいて来るが、馬方の一人の様子がおかしい。両手を大きく振り回し、足取りは完全な千鳥足。ご機嫌の様子。明らかに酒を飲んでいる。18時近くまで、待たせた理由が飲酒とすれば、許されないことだ。到着後の理由は、氷河で手間取ったとのこと。しらじらしい。厳重に注意すべきだ。それから、テントを張って、もぐりこんだのは、18時30分過ぎ。
 20時40分、遅い夕食。団子とジャガイモのカレー、チャイ。馬方は(飲酒)ではなく、大麻ではないか。 当地では、 極日常的に大麻を吸引する習慣があるにしても迷惑な話。 明日6時30分モーニングティー。
取ったとのこと。しらじらしい。厳重に注意すべきだ。それから、テントを張って、もぐりこんだのは、18時30分過ぎ。
 20時40分、遅い夕食。団子とジャガイモのカレー、チャイ。馬方は(飲酒)ではなく、大麻ではないか。 当地では、極日常的に大麻を吸引する習慣があるにしても迷惑な話。明日6時30分モーニングティー。
 7時30分朝食。 8時出発。 昼過ぎにタルタ。日本人隊員が全員揃っていれば、ドゥムラをめざす。ランチはボロゲンで調理後、タルダへ運んでもらう。マナリへのジープ確保の交渉結果で、ドムラ2泊か3泊もある。ポニーの餌(緑)と水の問題で、馬方はドムラ入りを希望している。明日はタルダ手前の河原からの急登がカギだ。
インド人スタッフに風邪の流行がみられる。予防につとめるように。昨晩のBC同様、ボロゲンも満天の星がきれいだ。21時36分就寝。

8月11日
 5時30分起床。 空は青色。 1時45分頃だったか、 一度眼が覚めたが、その後、良く眠れたらしく、すっきりした気分。少し、ウトウトと朝寝。6時20分、チャイ。7時10分朝食、紅茶、ビスケット。ランチと行動食をもらって、7時40分出発。
 8時42分、4650mの河原への下降地点通過。一気に下る。
 8時59分、4465mの河原に降り立つ。川沿いに歩く。往路では大丈夫だった橋が流されていたので、 やむなく徒渉。タルダ手前の急登地点4365mを10時7分に通過。今日一番の急登をゆっくりと登った。
 4650m10時29分着。全員が揃うまで、休憩。流れ落ちる水が冷たくて心地よい。
 11時45分、4735mタルダキャンプサイト到着。25℃と暖かい。順調なペース。なつかしい巨大、ンモナイトと再会。自分のカメラに記録。ランチを食べ充分な休息。
12時25分、タルタ出発。懲りもせず、アンモナイトを探しながらドゥムラに向かう。暑くなった日差しを受けながら、どんどん下降していくにつれ、緑が急に豊かになって行く。ポニーの足取りも軽くなっている。遠くになつかしいドゥムラのエンドウ畑と村が見えてきた。 久しぶりの子供の声「フォト フォト」14時10分、4260mドゥムラ到着。冷たくきれいな小川をヒョイヒョイと渡り、緑の地面に腰を降ろす。やっと着いた。と思っていたら、お気に入りのドゥムラから、さらに歩くとのこと。「聞いていないゾ」と言いながら、田辺さんは歩きだした。しかたなく、僕も、しばらくして後に続く。
車の通る道沿いに歩く。緑豊かなドゥムラから再び、水の匂いのしない道だ。 暑さと疲れと、何より、 着いたと思った心を黙らすのに困りながら、不明の目的地をめざす。
 15時10分、4405mラダーチャのキャンプサイトにたどり着いた。道沿いの水場に広がるサイト。牛や馬が、少ない緑を食んでいる。日陰のない暑さに耐えられず、テントの軒の下に入り込む。まるで、通りに面して店開きをしたようなテントを、通りがかりの子供達や若い母親が興味津々で、覗いて行く。17時30分過ぎに、立ち寄ってくれた子供達に、日本から持参した絵をあげることが出来た。人の住む街に着いたらあげようと思っていたが、思わぬラダーチャで、 一気に完売。 皆喜んでもらってくれた。 商談が終わると、「ジュリー」と手を振りながら、長い道程を歩いて行く。
 18時過ぎ、夕食。サーモンの缶詰、ご飯、のりの佃煮、ホウレン草のおひたし、水餃子、パイナップル、 コーヒーの超豪華版。生水はだめ。ガランパニをもらう。今日は下りが主だったが、徒渉もあり、かなり歩いた。 夜になり、風が強く、テントが震えているが、 早目に休むことにする。明日は息子、彬の10歳の誕生日。マナリーで出したバースデイカードは届いただろうか。19時30分就寝。

8月12日
5時53分、子供達の声で、眼が覚める。昨日の菓子やジュースのプレゼントが、よほど効いたらしい。下手にテントの外へ出たら、大変だ。もう手持ちがない。 静かに睡眠中を決め込む。
 6時30分頃、子供達の声がしなくなった。チャイで一服。朝日がテントに当たり始めた。朝食は日本食。みそ汁、エビ入り雑炊、ホウレン草のおひたし、昆布の佃煮、梅干し。
 9時20分、ラダーチャグラウンドに行く。その名の通り、グラウンド状に広がる、かなり広い平坦な場所の真ん中にパラシュートの布地を使った傘のようなテントがあり、近くに3張りのテントが見えた。近づいて行くと、3人の僧侶が、サイコロゲームに興じていた。英語が、まり通じなくて、この地域のラマが、ここへ来たのか、来るのか、はっきりしない。子供達もいる。
 しばらく子供達と遊んでから、さらに村が、るのか進んで見る。村の入り口に、るストゥーパの石組みが見える。丘の上に出て、眺めると、遠くに数軒の家とマナリーへの道。とてもフェスティバルをやっている風には見えない。しかたなく、再び、ラダーチャグラウンドに戻る。
 サイコロゲームは相変わらずだが、一人の僧は、離れて経典?に目を落としている。先ほど、子供達とロバを引いていた、人の良さそうなおじさんが、チャイをすすめてくれるという。彼は広場のはずれの家へ向かった。待っていると、カップとポットを持って戻って来てカップに注いでくれる。本物の牛乳を使ったチャイで、とてもおいしい。はずれのテントから、ずっと、読経が聞こえている。チャイを運んできた家の方から、子供をおんぶした男と、もう一人の男が来た。子供をおんぶした男は英語が話せた。渡辺さんとの話から、ここでは農業まつりをやっているのだと言う。この地域のラマは、昨日までここにいて、今日からはチッキムにいるのだと言う。残念。預かって来たチベットのカレンダー(ダライラマの写真入り)を高僧と思われる人に預け、寺に寄進してもらうことにした。ページをめくっていた僧が、8月の写真を見て、これはこの場所だと言う。ラダーチャグラウンド、今いるこの場所。驚きである。そしてさらに、ページをめくると、何と、チャイを御馳走してくれたおじさんが、チベットの民族衣装を着て、写っているではないか。何という因縁めいた話。写真を撮り、その偶然を語り、別れた。 鈴木隊長に伝えると、「そんなことが・・・ 」と絶句。 早速、隊長のビデオカメラに向かってしゃべれという。 一部始終をレポーターよろしく報告した。
 ラダーチャに着いた頃から、日本人隊員が、自炊することが多くなった。今日の昼は、僕が、野菜入りのラーメンを作った。日本茶もいれた。他に三杯酢のわかめ。おいしく食べた。プルバの心くばりで、ガランパニが用意され、全員が代わる代わる、久しぶりの洗髪。サッパリ。午後をのんびり過ごす。雲もあり、昨日ほど暑くない。道路沿いのテントに寝転がっていると、けっこう、いろいろの人が通過して行く。地元の学校の先生らしい人が、自転車で行く。リタイアして、馬を引きながらの一人旅のイギリス人。
 15時過ぎ、風流に抹茶をいただく。抹茶は西尾産、器は志賀さんがヘルメットに入れて持って来た銘陶。羊羹と共にいただく。インド人スタッフは、不思議な苦みに何とも言えない表情。アラムチャンドは対抗心からコーヒーをいれる。17時過ぎ、子供や女達がキャンプサイトに立ち寄る。女達は、昨晩一晩中踊っていたらしかったが、まだまだ元気で、ポリタンクや何やらを叩いて歌い踊っている。洗髪しておでかけ?用に着替えたガングウが女達に盛んにからかわれた。ビデオに収めた。楽しい一時だった。夕食は野菜炒め、ご飯、梅干し。短波で、カラコルムで雪崩、行方不明のニュースを聴く。明日ジープが来れば、マナリへ移動だ。今夜、流星群が観れるか?!
 19時18分就寝。今夜も風が強い。23時から15分間、流星群の観察にテントから抜け出す。南東方面に雲、その他の方位は星が無数。流星を3個確認。 

8月13日
 夜中、ジープで帰ってきたインド人のおしゃべりで3時頃まで眠れず。5時過ぎに眼を覚ます。昨夜、ジープが来ている(台数未確認)ということは、今日マナリーに移動か?朝もテントを風が揺らしている。昨日のように、子供の声はまだ聞こえない。チッキムにいるこの地域のラマに面会できそうとのことで、8時3分全員で移動。村のゴンパに着くと、ラマの滞在中ということで、多分いつもののどかな雰囲気ではなく、なんとなく晴れがましいような、静かな緊張が感じられ、先日、チョコをねだった子供が臙脂色の僧衣を身にまとっているのが、いつもと違うらしい。ラマの特別な食事?を調理している台所で、チャイをいただく。しばらくして、2階のラマの滞在している部屋に案内され、面会を許された。口ひげをたくわえた穏やかな表情のラマは、気さくに、にこやかに迎えて下さった。インド人スタッフは、皆一様に緊張している。生き仏に、個室で面会出来るということは、そうそうないことであろう。「この地域の信者はどれ位ですか?」という我々の質問に対する答えが、ラマの位置を、一言で言い表していた。「100%です。」写真やビデオの撮影にも、気楽に応じてくれた。
 面会を終えて、一階の部屋を見学させていただいた時に、昨日のラダーチャグラウンドで、読経を続けていた僧侶と再会した。キャンプサイトへ引き返す時、村の若い娘達とインド人スタッフの若者が盛んに声を掛け合っている。チッキムのトラボルタは、相当もてたらしく、ジープの中で自慢話に夢中であった。
 キャンプサイトでは、早速マナリーへの移動準備にかかった。一台のジープはバッテリーがあがってエンジンが始動しない。バッテリーコードでの直結をと思っていた時、彼らの手法は眼からウロコ。L型レンチを4本集めて、+-を二人が2本ずつを素手で持って、直結。見事にエンジン始動。さらにもう1台はパンク。やっとのことで、10時10分、ラダーチャ出発。今日1日はジープでの移動。
 11時45分、4300mロサール着。55分発。
 12時45分、4735mクンザン・ラ着。58分発。
 13時30分、4205mバトミル着。橋のたもとの石を積み上げ屋根にテントを張ったレストランでの昼食。外は結構冷え込んでいる。中に入ると、外国人の旅行者が、多い。火の通ったもので早くと、日本人はナンとチャイを注文。インド人スタッフはやはり、カレー。暗い店の奥から見える、外の光りが入る入り口に陣取ったインド人のカレーからのぼる湯気が食欲を刺激する。さらに、彼らは、緑のトウガラシをバリバリとかじって、口からホーと焼けた息を吐き出す。皿の上のカレーがなくなると、店のおかみが、あつあつのご飯とカレーを手際よく、足していく。ナンで、ナンにしたのだ。今度来る時は、ゼッタイ、カレーだ。14時12分発。
 15時50分、3565mチャトル着。雨上がりの洗われた山が、眼にまぶしい程美しい。道端の店で、チャイを一杯。16時24分発。いよいよ、ロータン峠をめざす。
 峠への登りながら、対岸の白い雪に覆われた山を見る。マナリーの近くにも、登りがいのある山がある。再生タイヤのはがれかかったゴムが、いつの間にか、はがれたらしく、パタパタという音が消えた。往路、通過する予定だったロータン峠に、やっとたどり着く。チラチラと雪も残っている。峠にインド人の若いカップルが目立つ。新婚旅行かも?マナリー側に下りかけると当地出身のインド人達が、笑みをもらす。夕刻、マナリーの市街地より手前のホテルに到着。道路をはさんで、インド軍の補給基地が隣接している。荷をとき、ベッドに腰を降ろし、一日を終える。

8月14日
 5時40分、起床。青い空とまぶしい光りで一日が始まる。荷物の整理をする。インド軍のトラックがロータン峠の方へ、黒煙を吐きながら登って行く。
 9時朝食、コーヒー、コーンフレーク、トースト、オムレツ。90Rs。鈴木隊長とアルンロイはマナリーへ、髭剃りに。その後、森田氏宅へお礼に。渡辺さんとアニルは、IMF提出用の登山レポート作成。志賀さん、田中さん、田辺さんと自分で、プラパールボックスの中身確認と食料の分配、カラビナの分配と返却。アライテントの乾燥。 まぶしい程の光りの中、周囲を見回すとヒマラヤ杉、白い筋となって流れ落ちる滝、雪をうっすらとかぶった山々・・・。この辺りをインドのスイスとして、売り出したらしいが、そのような雰囲気も確かに感じられる。
 一通り作業が終わって、3人は食堂でビールを飲みに行く。僕は、靴下や下着や洗濯を済ませて(熱い湯が使える)合流。
 11時30分。ズボン、ポロシャツ、ラガーシャツはクリーニングに出す。75Rs。食堂横のベランダで飲んでいると、ヨグラグ、アラムチャンド、パサン、ガングウ、プルバが、こざっぱりした格好で現れた。早速、一緒に飲む。
 12時30分過ぎ、 レポートを作成し終えた渡辺さんとアニルも合流。13時になっても、鈴木隊長とアルンロイは戻って来ない。ランチを注文して食べることにする。ナン、パッパド等とビールを追加注文して、食べていたら、髭なしの二人が帰って来た。食後、鈴木隊長と渡辺さんはインド人スタッフへの給料の支払い。大変な仕事だ。
 タクシーを呼んで、マナリーの街へ出かける。8Kmほどで170Rs。晴れたマナリーは、7月の雨の時と比べると明るく、さわやかな感じ。レポート作成の為の資料を集めるのに、本屋を捜しながら、キャンバスの袋を作りに向かう。一ヶ月ぶりに訪れた店の若い経営者は、笑顔で迎えてくれた。作り上げるのに1時間程かかると言うので、しばらく、街をぶらつくことにして、歩き出したら、靴屋の辺りで、日本語をしゃべるインド人に、声をかけられた。アラムチャンドのことを知っていると言う。登山用具が欲しいらしく、さかんに値を聞く。欲しいなら、我々のホテルまで来るように話して、立ち去ることにする。
 何となく?チベット人の土産屋を訪ねた。日本人そっくりの女主人がなつかしそうに迎えてくれ、コーラを出してくれた。ひとしきり、山のことを話して、家族に土産を買う。
 また、本屋を捜しにウロウロ。鈴木隊長、渡辺さん、アルンロイ、アニルに会う。一旦別れて、キャンバスの袋を受け取りに行き、再び合流。一緒に、本屋を捜すが、ヒマラヤの資料を置いている所がない。タクシーでホテルへ戻る。途中で、ミネラルウォーターを10本購入。100Rsと安い。
 夕食。またビールを飲み盛り上がる。鈴木隊長は子供時代やら、戦後のことやら、上機嫌で、舌の回転も滑らか。部屋に戻る時、クーニングの請求をすると、夕方の約束分がやっと届く。遅かったが、しっかりとクリーニングされており、皆満足。その後、田中さん、志賀さん、アニル、アルンロイを交えて、201号室で11時過ぎまで、シーバスリーガルを飲みながら、大いに語る。

8月15日
 インド独立記念日。6時過ぎに起き出す。田辺さんは、まだ眠たそう。今日も良い天気だ。7月のマナリーとは大違い。8時30分、朝食。コーヒー、フライドエッグ、コーンフレーク、パイナップル。10時過ぎ、志賀さん、田中さん、田辺さんとマナリーの街へ出る。
 街のスタンドで独立記念日のセレモニー。歌やら踊りやらを賑やかにやっている。しばらく、立ち止まって観ていたら、パサンやらプルバックがいた。チベット人の土産屋へ出かけた。田中さん、志賀さんがいろいと買い物。それから、街のメインストリートにあるスキヤキの店に入る。マトンのスキヤキとビールで一人150Rs。裏手に入った所にある寺を訪ねた。下から見上げた表情と、眼の高さまで上がってから観ると 表情が一変する仏像を観る。再び、通りに戻ると、ガングウが都会的なスタイルで歩いていた。
 セレモニーの会場は相変わらず、盛り上がっていた。スタンドに陣取り、じっくり観ることにする。田中さんは写真撮影に余念がない。ビデオを取り出したいが、周囲が混乱しそうなので、我慢。写真だけだった。だいぶボラれた。
 インペリアルで昼食。生のピアノ演奏もあり、ゆったりと昼食を楽しむ。その後、コンノートにくり出すが、人は多く、思ったより雑然として、土産物を物色するに至らず。一旦コンノートからクラリッジへ引き返す。
 19時過ぎ、日本から国際電話。2歳1カ月の娘が、ぺらぺらとおしゃべり。インドに来る前には、こんなにしゃべれなかったのに。一カ月で片言が会話になっているのにビックリ。日本に帰国したら・・・どうなのだろう。一カ月以上のブランクは思った以上に大きいのかも。
 20時過ぎ、再びインペリアルヘ。禁断のビーフステーキを食べる。思ったより、硬く、想像よりおいしくはなかった。ビールは冷えていて、とてもおいしくいただく。明日は念願のタージマハールを観に、アグラへ。5時出発なので、早々にベッドに潜り込む。 

8月19日
 4時30分起床。5時ロビー集合。冷房の効いたトランスポーターでアグラへ向け、まだ暗いデリーを出発。増井夫妻、青戸さん、田辺さん、柳原さんと山口の6名。片道5時間の道も、比較的空いており、途中の休憩も含めて11時前にアグラ着。トイレ休憩を兼ねて、ホテルでコーヒー。その後いよいよ、タージマハールへ。途中の駐車場に車を止め、電気自動車で、入り口まで移動。暑い。38℃。ビデオカメラは預かりとかで、半ば強制的に取り上げられる。戻ってくるか不安。カメラはOK。この不合理は何だ。内部に入る際には、例によって靴を預ける。裸足の足が、さらに暑い。大理石に各種の宝石をちりばめた細工やレリーフ、透かし彫りは手の込んだもので、その豪華さは一見の価値充分。暑さに負けて、見学の時間を繰り上げて靴を返してもらい、木陰に潜り込む。駐車場まで戻り、レストランヘ直行。バンブーのインテリアがしゃれた中華レストラン。客層は白人が圧倒的。スコールのような雨が降る中でランチ。ちょうど雨が止んだところで、移動。石細工の工房兼土産屋さんを見学。14時過ぎ、デリーまで移動開始。先ほどの道が、雨で川に変身。アグラの街を抜けると順調に走る。20時頃、デリーに到着。シャワーを浴びて夕食。

8月20日
 6時起床。シャワーと洗濯。8時朝食。朝食後のミーティング約40分。CEXTRA CHARGEについての話。かなりの額が請求されているらしい。一人当たり3~4万円分に相当するのではないかと思う。雨等、不測の事態で出費がかさんだとは言え・・・。
 16時チェックアウト。11時30分までに部屋を空けるのか否か、ハッキリするので、待機となる。12時から、早目の昼食とする。しかし、一時間もかかる。
 13時過ぎに出かけるが、目的のインド各州の物産店は、13時30分 ~14時30分がランチタイムでクローズ。
 国立博物館に出かける。 一人150Rs。学生は1Rs。インド市民10Rsとの格差に驚く。
展示スペースは暑く、ゆっくりと観るのは辛い。展示も、今一つうまくない。扇風機は、展示場の当番に向けられており、鑑賞者の為のサービス精神は?
 14時30分に出てきたが、15時過ぎまで観ている人もあり、土産屋さんでの買い物は諦め。16時チェックアウトとのことで、15時45分頃、個人装備を廊下に出し、1階のロビーに向かう。16時30分過ぎにチェックアウトするとのこと。ホテルの1階のショップで買い物を済ます。
 17時過ぎ、クエストツアーズの用意したバスで、ジョギンダル・シン氏宅に向かう。今回のツアーの面倒をみてくれたシン氏に対する登頂報告とお礼の訪問である。高級住宅街の中にある邸宅の黒い鉄の門を、門番が開けて、招き入れてくれた。大理石張りの床に絨毯。シン氏は、気さくな人物で、早速ビールを注いでくれた。いかにも、品の良さそうな奥さんは、ゆったりと笑みを浮かべながら、応対してくれた。一人娘?の18歳の美しい女性も、にこやかに会話に加わって、なごやかな時を過ごした。愛犬のサターン14歳も接待に忙しい。インド人の家庭は初めてであったが、裕福な一家ということで、一般の家庭とは異なると思うが、幸福そうな一家であった。帰り際に、庭で記念写真を撮った。
 バスに乗り込み、空港に向かう。いよいよ、インドを離れる日が来たと、遅まきながら、実感する。空港では、荷物のオーバーチャージ分の支払い交渉に鈴木さんと渡辺さんが、粘り強くあたった。やっと、出国手続きをとる。23時15分発A1318便に乗り込む。往路より新しい美しい機内である。日本に帰る。23時42分、ゆっくりと機体が動き出す。23時52分離陸。半月が右側に見える。インドの街の人々の明かりが小さくなっていく。また、インドに来ることは?  



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